WS002345


クラッシックの曲であろうとは思うが曲名は知らない。しかし拓馬はその菜緒の姿に見とれた。

ゆっくり体を揺らしながら目を閉じて菜緒は世界に入っている。指が綺麗だ。音も美しい。今までの自分には無かった刺激がある。そして演奏が終わり菜緒は拓馬を見た。

拓馬はピアノの隣でズボンが濡れるほど涙を流していた。そんな拓馬の姿を見て菜緒も気が付いたら涙が流れていた。

そんな状態が無言で無音のまま続いた。そして拓馬が「菜緒さん すごい」と言うと菜緒は「もぉ~ そんなに感動されちゃうと恥ずかしくなるでしょ~」と拓馬の頭をくしゃくしゃした。

「あ、思い出した」ふいに拓馬が言うと菜緒は「え?何?何を思い出したの?」と早口で拓馬に聞いた。

「菜緒さんヤマハの音楽教室で先生になってた」それを聞いた菜緒は驚いた。「ほんとに?」菜緒は高校を卒業したらピアノの先生になろうと思っていたのであった。

これはいよいよ江崎菜緒も真実味が増したとまたまた菜緒は浮き上がった。

「ねぇ 拓馬君も何か弾けるの?」と振られた拓馬は「うん」と答え「それじゃ席変わろ♪」と菜緒に促されピアノの前に座った。

拓馬はジャズが好きで4ビートの曲を弾き始めた。すると即自分の世界に入り込んだ拓馬は気分よく弾き続けた。

菜緒から見て小学5年生のレベルをはるかに超えた演奏に菜緒は胸躍った。曲が終わると菜緒は更にハイテンションで「拓馬くん 凄いじゃない!」と顔の前でパチパチと拍手した。

「上手~ 誰に教えてもらったの?」と聞くと拓馬は「独学なんだ」と答えた。菜緒は「うっそ~ 本当の事いいなさいよ~」と信じてない。

「いやほんとだってば」という答えに「ほんとなの?」ともう一度確認した。拓馬は笑顔で「うん」と答えると菜緒はしばらく固まっていた。

そして菜緒は何か宝物を見つけてしまったような気分になり、自分が知っている事を拓馬に教えてあげる事にした。

数日後、菜緒は拓馬に「ねぇ私の学校に遊びに来ない?」と誘ってきた。拓馬は「へ?学校?」ときょとんとしている。菜緒は「学校のね 吹奏楽部の先生を紹介してあげる」と拓馬に言った。

拓馬は何やら楽しそうなので「おっけ~」と返事をして土曜日の午後に行くことになった。

菜緒に連れられて拓馬は女子高へ入って行った。通算で考えると五十四才になる拓馬は女子高というだけで少し緊張した。

しかし小学1年生から既に4年もの日々を過ごしている為か、思いのほか気が楽である自分もいて変な気分になっていた。

「ここよ♪」菜緒は吹奏楽部の部室を指さした。中に入ると沢山の楽器と女子高生ばかり。

「うはっ」と拓馬は圧倒された。拓馬を見て、その中の唯一の男性がやってきた。吹奏楽部顧問の大谷先生である。

「やあ君が拓馬くんだね」と笑顔で声をかけてくれた。菜緒が「連れてきました~♪」と言うと大谷先生は「みんな~拓馬くんが来たぞ」と告げると、一斉に拓馬に注目が集まった。

あちらこちらから「あら かわいい」とか声がして、わらわらと拓馬の周りに集まって来た。拓馬は一気に緊張してカチコチになった。

「あれ~緊張してる?」と更に追い打ちをかけられ、拓馬は引きつった顔で「ははっ」と笑うのが精いっぱいであった。

大谷先生が「それじゃ拓馬くん 早速何か弾いてください」と助け船を出してくれたので「はい」と元気よく返事をし、女生徒に囲まれた輪の中から脱出する事が出来た。

初めてグランドピアノの前に座り、少し音を出してみたら「!」いつもと違う響きに少し興奮した。

「いい音!」と一言いうと、得意のジャズを演奏し始めた。演奏が進むと、それまで「かわいい♪」と上から目線であった女生徒たちの眼差しが、「素敵」と尊敬の眼差しに変わっていった。

演奏が終わると大きな拍手に包まれて拓馬は感激した。背中がゾクゾクする。久しぶりにこの感覚を思い出したのだ。

前の人生のバンド活動していた時にも味わった事がある感覚であり、それを思い出して満面の笑みを浮かべていた。

菜緒も吹奏楽部に所属しており、この日から拓馬は学校が終わるとこの吹奏楽部へ遊びに来るようになった。

前の人生でドラムも叩く事が出来た拓馬は、ドラムを触らせてほしいとお願いすると、大谷先生が「いいよ 教えてもらいなさい」と言ってくれたので、早速ドラムセットの前に座ると、懐かしい雰囲気が蘇って来た。

椅子の高さからバスドラムのペダルの感触を確かめ、ハイハットの開き具合を調整し、タムやスネアの音を確認した。(懐かしい~)そう思いながら8ビートを刻んでみた。

他の楽器の女生徒達も拓馬の動きが気になり、見ていたのだが、いきなり自分で調整し、しっかりとビートを刻む姿を見て「え?」と見ていた。

ドラム担当の女生徒の泉明美は驚いて、両手を顔の横で開いて小さな万歳状態になって見ていた。拓馬はもう完全に自分の世界に入り込んでいて周囲の事等きにしてはいなかった。

徐々に昔の感触を思い出しながら16ビートに変化し、多彩なおかずも織り交ぜ、完全にドラムソロ状態になっていた。しかし拓馬は小学生の体、直ぐに握力が無くなってスティックがすっぽ抜け、飛んで行った。

イメージに体が付いて行かないのだ。そして中断した。ちょっと離れた所から見ていた大谷先生が「おいおい拓馬くん 君、ドラムをどこでそんなに練習したんだ?」と聞いてきた。拓馬は焦った。「いや、、、なんか自然に」「へへへ」と誤魔化すも、泉明美は「ちょぉっとぉ~あたしより上手いじゃん」「どういう事~?」と拓馬は「いや、でも、スティック飛んでっちゃったし・・・」と話をそらそうと必死になっていた。

「なにそれ~」と明美は拓馬の首を両手でつかんでゆすった。「あぁ~ごめんなさ~い」と拓馬は笑いながら「たすけて~」と言うと部室内は笑いに包まれた。

何とか誤魔化す事が出来た拓馬は「あ~びっくりした 明美おねえさんに食べられちゃうかと思った」と言いながらベンチのある所へ歩き出した。後ろから明美の投げたタオルが飛んできた。「食べないよ」笑いながら吐き捨てるように明美は言った。更に大きな笑いが起こった。

この吹奏楽部へ拓馬を連れてきた菜緒は、拓馬がかわいい弟のように感じられて、愛おしくてしかたがなかった。

部室に拓馬がいる間、菜緒はずっと目で追いかけて拓馬を見ていたのだった。元々人の世話を焼くのが大好きな菜緒は、拓馬に付きっ切り。

休日は拓馬を家に呼び、クラッシックの事を教えたリ、ご飯を作ってあげたリ、一緒にピアノを弾いていた。

菜緒も高校の卒業が近くなってくると落ち着きがなくなってきていた。拓馬が散々ピアノを弾きまくり、疲れて一休みしていると菜緒は拓馬の隣に座り拓馬の頭を自分の胸に抱きしめた。

「こいつぅ なんでお前はこんなにかわいいんだよ~」菜緒はすねたように言うと拓馬の頭を抱えたまま左右に振り振りとゆらしていた。

「中学生になっても遊びに来いよな」と菜緒は小さな声で呟いた。拓馬も菜緒の体をぎゅーっと抱きしめて、「うん 必ず来るからね」と言うと、しばらく二人は抱き合ったまま時間が過ぎて行ったのであった。

あと少しだが、小学校が終わると女子高の吹奏楽部で楽しめる。休みの日や夜は、自宅の防音室でピアノを練習できる。環境は完璧に揃っており拓馬は充実した日々を送っていた。

(もう五十才のあの頃に戻りたくない)拓馬はそう考えていた。今の人生でもっと色々出来ると思うと、夜も寝る時間が惜しくなり、つい夜中まで起きているのだが、流石にそこは小学生。

部屋の中で行き倒れのまま朝を迎える事も日常であった。これだけ充実して過ごしている拓馬であったが、小学校へ行くとついつい水野美沙を目で追いかけていた。

美沙も見られている事に気が付くとニコッと笑顔をくれたので、それだけで拓馬は舞い上がっていた。菜緒も大好きだが6才も年が上という事もあり、拓馬にとって恋愛の対象にはなっていなかった。やはり拓馬の本命は美沙であった。

そして小学校の卒業式も終わり、女子高の吹奏楽部のメンバーとも涙のお別れをした。

とりわけ菜緒の号泣はさすがの拓馬も参った。でもヤマハ音楽教室へ行けば菜緒はいる。自宅もいつでもウエルカムだ。ちょっと後ろ髪を引かれる思いであった拓馬だが、切り替えは出来たようだ。




 
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